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最近のアルツハイマー病の治療薬開発の動向について

 アルツハイマー病(Alzheimer's disease,以下「AD」)は痴呆を主な症状とする脳の病気で、老年期に好発する。その発病機序はまだ完全に解明されてはいないが、脳に老人斑が出来ることが最も重要な出来事であると考えられている。その理由は、1)老人斑はADに特異的で、他の病気には見られない(但し、正常の老人にも見られることがあるが、その程度は軽い)、2)ADの脳の変化で最も早期に現れる、3)ADを若年で発症する家族性アルツハイマー病の原因遺伝子として発見されたアミロイド前駆体蛋白(以下「APP」)やプレセニリン1、プレセニリン2などの遺伝子変異は老人斑の形成を促進する、また、40代で脳のAD変化を来すダウン症では21番染色体のトリソミー(染色体は通常2 本ずつのペアであるが、ダウン症では21番染色体が3本ある)によって、21番染色体上にあるAPPが過剰に発現し、その結果老人斑の形成を促進すると考えられること、などである。実際、家族性AD変異をもつAPP遺伝子を大量に発現するマウスを作ると、マウスの脳にヒトに見られるのと同様の老人斑を作ることができ、マウスは学習障害を示す。従って、老人斑の形成を阻止すること、あるいは老人斑を除去することがADの予防・治療法となると考えられ、多くの研究が積み重ねられてきた。その結果、いくつかの可能性が生まれ、実用化に向けて急ピッチで作業が進められている。以下、そのいくつかを紹介する。

■老人斑のなりたち
 ADの新しい予防・治療法を紹介する前にまず老人斑の成り立ちについて理解を深める必要がある。老人斑とは〜500μmの円形のしみのようなもので、β蛋白が繊維状のアミロイド蛋白となって沈着したものである。β蛋白はその前駆体蛋白APPから切り出される。通常APPはβ蛋白の中程でα−セクレターゼにより切断され分泌されるのでβ蛋白はほとんど切り出されない。しかし、正常でもわずかではあるが切り出され、AD患者ではこの切り出しが増加している。β蛋白の切り出しにはβ−セクレターゼとγ−セクレターゼという酵素が関与している。β−セクレターゼはすでにBACEという物質であることが明らかにされ、その結晶構造も明らかになり、酵素活性を阻害する物質(インヒビター)のスクリーニングが鋭意行われており、すでにいくつか候補物質が得られている。γ−セクレターゼはプレセニリンそのものあるいはそれと密接に関連する酵素で、そのインヒビターはいくつか得られている。

■セクレターゼ阻害剤による治療
 γ−セクレターゼ阻害剤のあるものについてはphase1と呼ばれる臨床治験が行われた。副作用はあまりなかったとの発表であったが一つ問題が生じた。それは、γ−セクレターゼがAPPのみでなくNotch1など他の蛋白質の切断にも関与しており、γ−セクレターゼ阻害剤が他の切断も阻害するからである。Notch1の切断を阻害すると免疫異常が起こることが分かっている。ADは治っても免疫不全で死んでしまっては何の意味もない。現在Notch1の切断は阻害せず、APPの切断のみを阻害する物質のスクリーニングが行われており、フランスのグループはそれをとったと発表した。その物質の治験結果が待たれる。
 β−セクレターゼ阻害剤の開発は世界が苦労している。米国のエラン社などいくつかの会社はそれを手にしたと言っているが、本当によいものがとれているかは確かでない。β−セクレターゼが他の物質の切断にも関与しているかどうかは未だ明らかでないが、β−セクレターゼ遺伝子を欠くマウスを作っても何も起こらないところから、その阻害剤は他に大きな影響を与えないものと推定され、γ−セクレターゼよりよい薬となると期待されている。

■ワクチン療法
 β蛋白がアミロイドとなって脳に沈着するとこれを除去する機構も生体には備わっている。その一つが免疫系による除去である。米国エラン社のD.Schenkらは脳に老人斑ができるマウスをβ蛋白で免疫することにより老人斑の形成を予防し、形成された老人斑も消失することを示した。そのメカニズムはβ蛋白で免疫することにより抗体が上昇し、抗体がアミロイドに結合し、それをミクログリアという食細胞が食べてしまうからだという。免疫療法を受けたマウスでは学習障害も改善した。ヒトでもphase1スタディが行われ副作用がなかったので、現在英国と米国でphase2の二重盲検試験が行われている。もし、この試験で有効性が示され、phase3も順調に進めば、あと2〜3年後にはADの新しい治療法として使用が可能になろう。

■抗コレステロール薬
 最近、コレステロールがADの危険因子となることがはっきりしてきた。それは高コレステロールの人にADが多いこと、細胞や動物を高コレステロール状態にするとβ蛋白の切り出しが増えること、抗コレステロール薬であるstatin系薬物を服用している人はADの発症頻度が下ることなどである。どのような抗コレステロール薬でもよいのかどうかはまだ明らかでないが、脳への移行性のよいstatin系薬剤がよいのではないかと思われる。また、ACAT阻害剤と呼ばれる別の種類の抗コレステロール薬がよいことも分かって来た。抗コレステロール薬は既に市販されているものであり、適用の拡大をはかれば、その使用は案外早いのではないかと思われる。

■非ステロイド系消炎剤
 慢性関節リウマチ患者や非ステロイド消炎剤を服用している人ではAD発症頻度が有意に低いこと、老人斑では様々な炎症反応が起こっていることなどから、消炎剤が有効ではないかと考えられるに至った。そこで非ステロイド系消炎剤の一つインドメタシンの二重盲検試験が行われ、ADの進行を有意に抑えることが分かった。しかし、インドメタシンは消化管出血などの副作用が強く、一般に使用されるには至らなかった。最近、非ステロイド系消炎剤の一つイブプロフェンが注目されている。最近の論文によるとイブプロフェンはAβ42の産生を特異的に下げるという。β蛋白には、水に解けやすく従って老人斑に沈着しにくいAβ40と凝集しやすく(老人斑に沈着しやすく)毒性の高いAβ42がある。イブプロフェンはこのAβ42産生を抑え、しかもNotch1の切断には影響しないことが分かった。γ−セクレターゼ阻害剤が抱えていた問題が一つ解決されたことになる。イブプロフェンは既に広く使用されている比較的安全な薬であり、ADの治療薬として注目されている。

以上、ADの根本的治療薬開発は急ピッチで進められている。老人斑の形成が完全に阻止できるようになったあかつきには、アルミのことを口にする人はもはやいなくなるであろう。


セクレターゼとその阻害剤によるアルツハイマー病の治療



βアミロイドの生成、分解、除去、沈着機序

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