関連講演録

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生体微量元素の役割について (第2回)
順天堂大学助教授・千葉百子氏講演より
生体への影響にかかわるスペシエーション
 生体必須元素の生体内存在量には、多すぎず少なすぎず、ちょうどいい至適範囲がそれぞれにある。これはトータルな元素量の話だが、それだけではなくスペシエーション(化学種分析)が最近注目されるようになっている。
 以前、ヒ素の毒性が問題となった事件があった。ひとくちにヒ素といっても有機化合物と無機化合物があり、3価と5価がある【図2】。このうち、人が飲むと死んでしまうほど毒性の強いのは、無機の3価である。
 同じヒ素でも有機の5価は、ほとんど生体に対して毒性がない。たとえば、江戸前寿司一人前を食べると、尿中のヒ素濃度が急激に増加する。これは、魚に入っているアルセノベタインという5価の有機ヒ素によるものだ。この物質は、人間の体の中ではまったく分解されることがなく、アルセノベタインの形のままで尿中に出てきて、なにも悪影響を及ぼさない。また、海藻の中に含まれるアルセノシュガーという物質では、糖類の配合体の形でヒ素が存在する。海藻の中でもヒ素が一番多いヒジキには10ppm程度存在するが、人間が食べても何ともない。これは、ヒ素が5価の有機化合物だからである。

【図2】無機形と有機形のヒ素化合物の構造
無機形と有機形のヒ素化合物の構造

無機スズと有機スズの生体作用
 次にスズの例を紹介しよう。まず無機スズ(塩化スズ)と有機スズ(トリブチルチンクロライド)を同量(500μmol/kg)用意し、2群のマウスに食べさせた。20時間後、それぞれのマウスについて臓器のスズ濃度を測定して比較した【図3】。すると、無機スズを投与したマウスは、どの臓器でも濃度がたいへん低いが、有機スズを投与した方は、肝臓、腎臓、脾臓、膵臓、心筋、肺、精巣、精嚢、筋、脳のいずれも濃度が高かった。唯一例外なのは骨髄細胞で、無機スズを投与した方が高かった。
 このように、有機と無機の違いだけで、これだけ生体への作用に差が出ることがわかる。

【図3】スズ投与マウスの臓器中スズ濃度
スズ投与マウスの臓器中スズ濃度

ホメオスタシスの機能する範囲
 よく知られているように、人間には恒常性維持機構(ホメオスタシス)がある。このグラフ【図4】にあるように、この機構のコントロールできる範囲であれば、病気は発症しないのである。普通私たちは、この機構がはたらく範囲で生活しているが、激しい運動をして酸素が必要になると呼吸が激しくなるとか、心臓の鼓動が速くなるとかといったことが起きる。この範囲は、訓練によって広げることができる。特定の元素に職業性曝露のあるような人も、この範囲でコントロールできていることになる。しかし、異常度が外側に大きくなると、回復不能となり、死亡に至らないまでも後遺症がある。医学的には、この正常調節と代償調節の領域が予防医学の範囲、それ以上を臨床医学の範囲と位置付けている。

【図4】適応と疾病(Hatch、T.F.一部改め)
適応と疾病(Hatch、T.F.一部改め)

数値の違いは測定法が原因か
 この表【表3】は、アルミニウムが人間の体内にどのくらい存在するのかについて、以前に学術誌に掲載された報告例である。これを見て気がつくのは、報告者によって値が非常にずれるということである。これは測定方法が悪いのかもしれない。たとえば平均値だけを見てもかなり違う。
 私たちが尿中のヒ素の検査をするとき、「前2日間は魚介類を食べないでください」と言うが、そうしないと魚介類を食べて影響を受けているのか、そうでないかがまったくわからなくなるからだ。
 このようなデータについては、いつごろ測定されたかという点もたいへん重要だ。クロムの測定値【図5】を見ると、正常人の血清中では、1950年には約100ppbという報告がされたのだが、1960年になると1,000ppbを超えるという報告がある。ここですでに10倍の違いがある。ところが1980年になると、正常値は0.2ppbか0.5ppbぐらいに変わる。また尿中に存在するクロムの場合は、1974年の正常値が7.1μg/day。ところが1982年になると、0.16μg/dayという報告がある。人間の側の正常値がこれほど変化するとは思えない。したがって、やはり測定法に問題があったと思われるのである。

【表3】生体試料中アルミニウム正常値(真鍋重夫、日本臨床、47、1989)
生体試料 正常値 測定法 報告者
体内総量 50〜150mg 計算値 Heupke(1950)
  61mg 計算値 ICRP(1975)
  50mg 計算値 Alfrey(1980)
全血液中含量 12.5±4μg/l ICPES Allain(1979)
11.14±0.88mg%
(灰分重量率)
発光分析 Shevaga(1973)
血清(血漿)中含量 25〜1,460μg/l 放射化分析 Beriyne(1970)
42±16μg/l ICPES Schramel(1980)
3.7±1.1〜49±11μg/l フレームレス原子吸光 Alfreyのまとめ(1983)
6±3μg/l フレームレス原子吸光 Alfrey(1983)
12.4±6.5μg/l フレームレス原子吸光 McNeil(1984)
髄液含量 31±11μg/l 放射化分析 Delaney(1980)
6.8±4.5μg/l フレームレス原子吸光 Alfrey(1983)
尿中含量 86±65μg/日 放射化分析 Recker(1977)
16±8μg/日 原子吸光 Kaehney(1977)
61±22μg/日 フレームレス原子吸光 Gorsky(1979)
4.7±2.5μg/日 ICPES Allain(1979)
13±6μg/日 フレームレス原始吸光 Alfrey(1983)
胆汁中含量 3±1μg/l(イヌ) 原子吸光 Alfrey(1983)

【図5】血清、尿中クロム含量正常値の変遷
血清、尿中クロム含量正常値の変遷

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