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                アルミニウムが工場でたくさんつくられるように 
                  なったのは、「電解製錬法」とよばれるすぐれた方法が発明されたからです。発明したのは、アメリカのホールとフランスのエルーという二人の若い学者でした。 
                  二人は、アメリカとフランスという別々の国に住んでいて、おたがいのことをまったく知りませんでした。ぐうぜんにも二人は、同じ1886年に、電解製錬法を発明しました。そのあと、この方法は「ホール・エルー法」という名前がつけられて、ほかの国にも知られるようになりました。 
                  明治時代の日本には、ヨーロッパやアメリカから、ものをっくる近代的な方法がどんどん伝えられて、いろいろな工業がさかんになりました。アルミニウムのつくり方も、このころに日本に伝えられました。 
                  1894
                年、日本ではじめてアルミニウム製品がつくられました。紀元前から使われている鉄や銅に比べ、とっても若い金属です。それからすこしずつ、アルミニウムの板をつくる工場や、アルミニウムでできた入れ物や食器などの工場がたちはじめました。
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                明治時代、アルミニウムは人々に「軽銀」とよばれました。これは、アルミニウムが軽くて、銀のように美しいことからついたよび名です。昔の人も、アルミニウムのことが気にいったにちがいありません。 
                  そして、いろいろなアルミニウム製品のつくり方の研究がさかんになりました。 
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                | わが国の研究者も活躍「アルマイト処理」などを発明 
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                みんなは、アルミニウムでできたおなべを見たことがありますか? おなべは、長いあいだ使ってもぴかぴかしています。これは表面に「アルマイト処理」とよばれる特別なくふうをしているからです。アルミニウムの表面にちょうど一枚カバーをかけたように 
                  なるので、いつまでもきれいで、さびないようにすることができます。アルマイト処理は1929(昭和4)年 
                  に日本で発明され、世界じゅうから注目されました。 
                  「ジュラルミン」とよばれる、たいへんじょうぶなアルミニウム合金があります。アルミニウム合金というのは、ほかの金属をまぜたアルミニウムのことです。ジュラルミンはドイツの研究者たちが発明しました。 
                  「ジュラルミンよりもっと強い、アルミニウム合金はできないものだろうか。」 
                  日本の研究者たちは、自分たちの手で新しいアルミニウム合金をつくろうと努力しました。そして、ジュラルミンの1.5倍も強い「超々ジュラルミン」を発明しました。 
                  超々ジュラルミンは、「ゼロ戦」というそのころの戦闘機に使われました。いまでも、飛行機や野球のバットには超々ジュラルミンが使われています。たくさんの日本人の努力のつみかさねのおかげで、いろいろなアルミニウム製品ができたのです。 
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